【店長コラム】ボランティアとは?
こんにちは、
日本ペットシッターサービス神戸西店amoです。
本日は「ボランティア」の言葉の意味についてお話ししてみたいと思います。
無償の協力としての「ボランティア」。この言葉が持つ本当の意味と、そこに付随する「リスク」について、プロ・アマを問わず共通する意味を整理しておきたいと思います。
1. 「ボランティア」という言葉の本来の意味
語源であるラテン語の Volo(自ら進んで〜する)が示す通り、本来は「自発性」を指す言葉です。
しかし、実際の活動現場においては、「無償だからといって、責任(リスク)が免除されるわけではない」という非常に重要な考え方がセットで語られます。
☔「無償」=「無責任」ではない
ボランティアは善意で行われますが、活動中に何かあった場合、法的には有償の仕事と同じように責任を問われる可能性があります。「お金をもらっていないから許される」という免責規定は、日本の現在の法律には明確には存在しません。※一部の国(アメリカやカナダなど)には、「善きサマリア人の法」というものがあります。これは、急病人を救護したボランティアが、結果的に失敗してしまっても「重過失がなければ責任を問わない」という免責のルールです。
☔リスク管理は「自己責任」の裏返し
実務上は「ボランティア保険」などで備えるのが一般的です。つまり、「自発的に行う以上、それに伴うリスクも自分で管理しなければならない」というのが現代の暗黙の了解です。
2. なぜ「リスク(免責)」を語らなければならないのか
「ボランティアでなら」という申し出があった際、リスクの話をせずに「いい顔」だけをするのは、一見優しく見えるかもしれません。
しかし、現実に「善きサマリア人の法(重大な過失がなければ免責される法律)」が明文化されていない日本において、リスクを伏せたまま安請け合いすることは、相手を危険な目に合わせたことと同じになってしまいます。
もし有資格者のボランティア行為であった場合にも『プロとしての注意義務』が厳しく問われます。
例えば、善意での送迎や、専門知識を持った上でのサポートも、法的には有償の仕事と同等の責任を負うケースが多々あります。
だからこそ、リスクを伏せたまま『いい顔』をして安請け合いすることは、相手を尊重しているのではなく、むしろ無責任に危険へ放り出すことと同じなのです。
・事例
◯専門知識を持つ者の「無償のアドバイス」
士業や医療関係者が、プライベートで「ちょっと教えて」と言われて答えたアドバイスにより相手が損害を被った場合、責任を問われるリスクがあります。
プロが口を開く以上、それは「善意」であっても「専門的な見解」として扱われてしまうのです。
例えば、私元砂の場合です。医療判断を避け、「受診の判断はご家族で」と一貫して求めているのは、この「プロとしての境界線」を守るために絶対に必要な対応だからです。
◯「ついで」の送迎中の事故(無償の好意)
友人や知人を「ついでだから」と車に乗せて事故を起こした場合、たとえ無償であっても、運転者は同乗者に対して損害賠償責任を負います。
ポイント: 「お金をもらっていないから責任はない」は通りません。また、有資格者の場合、一般人よりも高い注意義務が課せられるのが日本の法律の厳しさです(善管注意義務といいます)。
◯「善意の管理者」としての責任(民法上の事務管理)
頼まれてもいないのに(あるいは合意が曖昧なまま)他人のために何かをした場合、それは「事務管理」と呼ばれますが、これには「本人にとって最も利益になる方法で管理しなければならない」という強い義務が伴います。
例えば、私元砂の場合です。良かれと思って動いてしまうと、万が一の際に「なぜそんなことをしたのか!」「なぜもっと最善を尽くさなかったのか」と法的に突っ込まれる隙を与えてしまいます。
◯もしリスクの話をせずに引き受け、事が起きた時にです。
「こういうリスクがあるって知ってたはずですよね? なんで教えてくれなかったんですか? 知ってたら頼まなかったのに!」
これは「説明義務違反」という立派な責め所になります。
リスクを隠す=選択肢を奪うこと: 相手が「リスクを承知で頼むか、それとも自分でやるか」を判断するための情報を与えないのは、相手を尊重しているのではなく、むしろコントロール下に置く行為です。
リスクを提示し、相手に「判断」させることこそが、相手の所有権と自己決定権を尊重する唯一の誠実な態度です。
3. 誠実さとは「いいこと」だけを言うことではない
最悪の事態を想定し、事前に「ここまではできるが、ここから先は責任が負えない。これらをすることにより、このようなリスクがある(免責)」」とはっきり伝える。それは相手を突き放しているのではなく、相手を対等な人間として信頼し、最悪の結果から互いを守るための「誠実さ」そのものです。
もしリスクの話を聞いて「そんな話は聞きたくない」と感情が波立つのであれば、それはまだ、その協力によって生じる「責任」を負う覚悟ができていない、ということなのかもしれません。
人には理性だけでなく感情があることは勿論のことではありますが「全ては法律行為である」と私は考えています。その理性だけではなく感情、こころがあるもの同士が安全に安心に暮らすことができますよう、決まりがあります。
私自身も、助けて…の手を伸ばしたときに、目の前でシャッターガラガラ、手をパチーンな経験(←比喩)はありましたが、それに関しては、相手が冷たい等というよりかは、そうなる(そうする)事由があるんだな、と、思います(勿論ガーーン、ではありますが)。このように、私も人間なので、勿論、感情を持っていますが💦これからもペットシッターとして、安全第一のためにも、己の行為にはどのような責務とリスクがあるかを客観的に確認しながら取り組んでまいりたいと思います。
















